KEFブランドヒストリー――音響科学が導く「Music Listening at Home」の理想
オーディオ・ビジュアル評論家/大橋伸太郎
1961年、BBC出身のエンジニア、レイモンド・クックによって創業されたKEF。その理念は単なる「高音質追求」ではなく、“Music Listening at Home”という命題を技術で解き明かすことにあった。LS3/5A、MODEL104、105、そしてUni-Qの誕生。MUONやBLADEを経て、LS50 Wirelessへ──。音響科学を軸に生活空間へ音楽を届け続けるKEFの歩みを、歴史と思想の両面から振り返る。
KEFとは何か?──BBCから始まった音響科学の思想
創業者レイモンド・クックの原点
KEFが他のイギリスのオーディオブランドと異なっているのは、よい音を追求するばかりでなく、音楽再生を通じて人々のよりよい生活へ献身する姿勢を忘れていないことだ。
KEFは1961年にB.B.C.出身の技術者レイモンド・クックによって創業された。B.B.C.は第一次大戦後にラジオ、第二次大戦後にはテレビ放送でイギリスの人々の生活を一変させた。クックはその重大さを肌身で知っていた。
だから、かれが作り出すオーディオは生活へのまなざしをつねに欠かさなかった。

「Music Listening at Home」という命題
“Music Listening at Home”
この命題についてクックそしてKEFは家具調のキャビネットとかでなく、純粋に技術的課題と捉えた。KEFのCIの同軸ユニットUni-Qも、複数の聴き手に音楽が均等に届くことを目的に開発された。それを念頭にKEFの誕生から現在までを振り返って振りみよう。
BBCモニターとKEF──LS3/5Aの誕生
BBC出身エンジニア、レイモンド・クックの出発
レイモンド・クックは、1925年に生まれた。英国海軍で無線通信士の任務に従事したあと、ロンドン大学で電気工学の学位を取得する。
1954年BBC入社、そして1961年にケント州メイドストーンに自身の会社KEFを設立する。

クックは先達のタンノイやワーフェデールの真似をしなかった。アヴァンギャルドさえといっていい最初のKEFスピーカー、フラットパネル・ウォールマウント(平面型壁掛け)のPicture SpeakerとK1スリムラインが誕生する。テクニクスやソニーが平面振動板のシステムを発表するのは十数年あとのことである。


強豪ひしめくイギリスのハイファイの世界に名乗りを上げたKEFは、音響技術の総本山で自身の古巣BBCとの業務提携を結び、スピーカーのダイヤフラム用新素材の研究を開始した。
カッテージチーズ容器をヒントに、ベクレストン素材を振動板に使ったモニタースピーカーシステムLS5/1が誕生。長く続くBBCとKEFの協業がここに始まる。
LS3/5A──「小さな巨人」の誕生
1970年代に入り、コンサート収録、スポーツ中継と、BBCテレビ放送の現場はスタジオから外へ飛び出していた。
放送中継車用に可搬型モニタースピーカーを、というBBCの要請に答え、1970年に10cmコーンユニットKEF B110、2cmドームユニットKEF T27を使った密閉方式の2ウェイLS3/5Aを作り上げる。「小さな巨人」という呼び方がふさわしい伝説的傑作の誕生だ。

MODEL104・105──放送標準を獲得した革新
MODEL104──放送標準を勝ち取った傑作
1973年には、名声を決定づける傑作MODEL104が登場する。低域の再生限界を伸ばすために平面型パッシブラジエーターを加えた密閉型2.5ウェイ。広帯域で高感度、よく弾む低音に支えられたいきいきとした音楽が魅力だ。104の音質はたちまち評判になりイギリスで初めて放送局用標準モニターの認定を勝ちとるスピーカーとなる。
興味深いエピソードがある。1967年にレイモンド・クックの息子マーティンはMODEL104をロンドンの顧客に納品する役を仰せつかった。
アパートを訪ねると、紳士が礼と共に一枚のLPレコードを差し出した。それはザ・ビートルズの最新アルバム「Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の出来上がったばかりのサンプル盤だった。顧客はザ・ビートルズのマネジャーのブライアン・エプスタインだった。
この時期、イギリスの音楽関係者に音の基準として浸透していくKEFのすがたが伝わってくる。


MODEL105とコンピューター解析の時代
1970年代、KEFはいちはやくコンピューター解析を開発に取り入れ、1977年、時代に先駆けた3ウェイモニターMODEL105が生まれる。
位相と伝達スピードの統一をテーマに中高音ユニットを独立したチャンバーに収め低域から分離、全帯域で均一な音の放射特性を実現した。世界中のメーカーが後を追い、構成法は定石化していく。105/2/3へ発展し、ユニット間の位相管理とタイムアライアメント調整(伝達時間の整合)がさらに追求されていく。

Uni-Q誕生──点音源思想の確立(1988)
1988年、オーディオはアナログからデジタルへの変化の真只中にあった。
KEFは画期的なUni-Qポイントソース・ドライバー・アレイを完成する。
ほとんどのスピーカーでは高音と中低音が異なる地点から発生するが、Uni-Qは両方を正確に同じ個所に配置する。同軸ユニット自体は新しいものでなく、Uni-Qの成功の鍵はミッドレンジのボイスコイルの直径に収まる超小型高感度の高域ユニットを実現したことにある。
Uni-Qは1988年のCシリーズから搭載が始まり、2026年の現在は第12世代がKEFの全機種に搭載されている。

1995年──LS3/5A復刻と創業者の逝去
1995年はKEFにとって意義深い年になった。世界中が待ち望んだLS3/5Aシグネチャーモデルが本家KEFから発売された。
その記念すべき年に創業者クックが没した。享年70歳。大英帝国第五勲爵士。音響に捧げた人生だった。
日本の音楽評論家とさかんに意見交換した。数々の著作で知られるピアノ音楽の泰斗、青澤唯夫氏との友誼はよく知られ、氏の鎌倉市浄妙寺の自宅では、日夜KEF105や203がショパンやドビュッシーを奏でていた。
MUONとBLADE──アートと音響工学の融合
挑戦の継承とMUONというアート
クックが没してもKEFの歩は止まらない。アンドリュー・ワトソン博士を音響プロジェクト責任者にすえ、クックの薫陶を受けた後進たちが創業者の挑戦心を受け継ぎ、次々にスピーカーの革新を成し遂げて行く。
そのシンボルが2007年のMUON(ミュオン)である。
英国大使館公邸で催されたレセプションには、駐日英国大使、アンドリュー・ワトソン博士、工業デザイナー、ロス・ラブグローブが登壇。会場の中央には高さ2メートルの輝く物体がそそり立っていた。
約6年を費やして完成したMUONの最大の特徴はスーパーフォームドアルミニウムで造型したエンクロージャーだった。全面が鏡面仕上げ、部屋の情景を全身に映し出すことで環境に溶け込み姿を消す。当時の邦貨にしてペア2000万円。
オーディオの枠を越え音楽の神が舞い降りて化身したアートだった。

BLADE──シングル・アピアレント・ソースの極致
MUONから遅れること4年、レギュラーラインのフラグシップが登場する。
刀をイメージしたBLADEは、KEFが一貫して追求する点音源を突き詰めたスピーカーである。
前面は中高域を担当するUni-Qドライバー一発だけ。指向性の少ないバスドライバーをエンクロージャー左右に配置して全方向360°に音を拡散する。その後のKEFの定石となるシングルアピアレントソース・テクノロジーの始まりである。しかしBLADEは、音響効果を得るのは十分な室内高と広さが必要だったため、2014年にダウンサイジング版Blade Twoが登場する。

LS50からLS60 Wirelessへ──ライフスタイルオーディオの現在
LS50──レガシーからライフスタイルへ
創業50年の2011年、これからのKEFを示す製品が登場する。創業50周年を記念しLS3/5Aを現代流に生まれ変わらせたLS50である。
Uni-Q一発をコンパクトなエンクロージャーの中央に収めたシンプル・イズ・ベストのパッケージングは全世界で幅広い層に好評をもって受け入れられ、21世紀最初のベストセラー・スピーカーとなる。

この時期、音楽配信の台頭でリスニング環境は大きく変化しつつあった。2016年にWi-Fiレシーバーを搭載したアクティブ型LS50 Wireless、さらにフロアスタンディング型LS60 Wirelessが登場する。
かつては音楽通、オーディオ通から支持される玄人受けするブランドのイメージの強かったKEF。
デジタルとITでリスニング環境が変わり、オーディオも変化の中にある。技術開発を積み上げて理想に一歩一歩近づく姿勢は変わらないが、技術の門戸を大きく開き、当初はオルタナティブだったLSシリーズがKEFの顔になりつつある。
かつては玄人好みの印象のあったKEFだが、LS以後、ワイヤレス機能を搭載したリビングオーディオ「LS50 Wireless」「LS60 Wireless」でポピュラリティを獲得、KEFはもはやオーディオ通だけのものではない。
レイモンド・クックの処女作がウォールマウント/平面型スピーカーだったことを思い出してほしい。KEFのスピーカーサイエンスは人間のよりよい生活の実現の道だったのだ。

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オーディオ・ビジュアル評論家
大橋伸太郎
1956年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。フジサンケイグループにて、『ガレのガラス芸術』『日本百景』『少年少女名作絵画館』(全12巻・日本図書館協会、全国学校図書館協議会選定図書)等、美術書、児童書を企画編集後、(株)音元出版に入社、1990年『AV REVIEW』編集長、1998年には日本初にして唯一の定期刊行ホームシアター専門誌『ホームシアターファイル』を刊行した。2006年に評論家に転身。VGP審査委員長、銘機賞審査員を務める。