【AIスマートホーム/ホームオートメーション特集】日本のスマートホームはどこで道を誤ったのか。ECHONET Liteをめぐって

 取材/LWL online編集部

後日公開する別記事にてお伝えする予定だが、グローバルで建築統合型スマートホームを展開するHOMMAがECHONET Liteに対応する予定である。本稿では一足先にこのニュースの背景にあるこのガラパゴス規格について想いをめぐらせてみたい。一見すると、日本独自規格への歩み寄りのようにも見える。だが、この動きを単純な「国産規格の再評価」として読むのは早計だろう。

日本のスマートホームはなぜ「体験価値」ではなく「便利操作」として語られてきたのか。ECHONET Liteという規格を手がかりに、建築統合型スマートホームの視点から考えてみたい。

建築統合型スマートホームが重視するのは「便利操作」ではない

日本市場に本格的に参入するにあたって、日本独自の住宅設備である床暖房と給湯器、それに家電にカテゴライズされるルームエアコンを動作させざるを得ない。HOMMAがECHONET Liteに対応することになった背景はおそらくそこにあるのだろう。

HOMMAがECHONET Liteに対応せざるをえなくなったニュースを聞いて、改めてこのガラパゴス規格について想いをめぐらせた。そもそもECHONET Liteは、建築統合型スマートホームのために構想された規格ではなかった。

建築統合型スマートホームが重視する価値について一言で説明する。建築統合型スマートホームは「便利操作」を重視するというより「体験価値」を重視する。
例えばホームシアター。タッチパネルの「シアター」ボタンをタッチすると、シェードが降りて遮光され、照明が徐々に消え、スクリーンが降り、天井からプロジェクターが下がり、やがて灯り、臨場感あふれるサウンドが空間に響きわたる。

Luxury home theater with a large projection screen, lounge seating, and ambient cove lighting
スマートホームの原点のひとつにホームシネマがある。ホームシネマでのシーン切替は「体験の質の向上」を主たる目的としている
Image:P11irom /Shutterstock.com

こうした人間の情感に訴えかけるようなシーン変化を演出すること、体験価値の向上が主目的であり、「便利操作」は副次的な産物である。

ECHONET Liteは「スマートホーム」ではなく「スマートハウス」の規格だった

一方で、ECHONET Liteのそもそもの出発点にあったのは、HEMSを軸としたエネルギー管理、対応機器の可視化と制御、そしてスマートメーター連携の思想である。

こうした出自があり、それが東日本大震災後の逼迫する電力事情の中で、経済産業省主導により、各家電メーカーがECHONET Liteへの対応を急ぎ、普及していった。要するに、もともとは「スマートホーム」のための規格ではなく、エネルギーマネジメントを主とする「スマートハウス」の規格だったわけだ。

問題はその規格がいつしか日本のスマートホーム像そのものを代表する位置にまで押し上げられてしまったことだ。

必要なのは「機器の言葉」ではなく「空間の言葉」

たしかにECHONET Liteを用いることで、住宅設備や家電はつながる。しかし、住まいにおける体験価値は、機器がつながることそれ自体からは生み出されない。照明、空調、ウィンドウトリートメント、床暖房、セキュリティ、AV機器、プール、サウナが、時間や行為や気分に応じて同期して動き、空間がひとつの環境として振る舞うこと。そこに建築統合型スマートホームが重視する体験価値がある。

必要なのは「機器の言葉」ではなく「空間の言葉」だ。

その点、ECHONET Liteはあまりにも機器に近い。家電や設備の状態を取得し、個別に制御することはできる。しかし、シーンを束ね、住まい全体をひとつの振る舞いとして設計するための思想までは、原理的に深くは書き込まれていない。規格の優劣ではなく、そもそも担うべき層が違うのである。

こうした背景もあるからだろうか、CrestronやControl4のようなHome OSの担い手たちは、長くECHONET Liteを中心には据えてこなかった。

Home OSが向き合ってきたのは、個々の機器をどうつなぐかではなく、住まい全体をどう破綻なく統合するかという課題だったからだ。KNXやDALIが比較的自然に受け入れられてきたのも、建築設備や空間制御の文脈に近く、環境設計のレイヤーに接続しやすかったからだろう。

ここにあるのは技術の優劣ではなく思想の差異である。

今回のHOMMAの対応以前にも、Crestronを使いこなす優秀なシステムインテグレーター、例えば当サイトで度々取り上げているコンフォースなど、ほんの数社、片手で数えられる程度ではあるが、少数の企業はECHONET LiteのAPIを解析してCrestronなどのHome OSから動作できるようにしていた。

その場合、CrestronなどをHome OSとして上位レイヤーに位置付け、ECHONET Liteを下位の実行層として取り込む。そして上位レイヤーのHome OS側で「住まいの体験シーン」の中に組み込むべく、翻訳し直す試みがなされていた。

なぜ日本のスマートホームは「便利操作」になったのか

ここまでECHONET Liteについて考察してきたが、日本のスマートホームが長く成熟しきれなかった理由は、接続技術が存在しなかったからではないことが理解できるだろう。日本の場合、むしろ逆で、日本には規格はあった。だが、その規格を住まいの思想へと接続することができなかった。

エネルギーの見える化、省エネ、家電とエネルギーマネジメントシステムの接続、そして標準化。そのどれもが必要だった一方で、そこに「どのような空間体験をつくるのか」という建築的な問いが十分に入り込むことはなかった。

家電と建築が統合することがないまま進み、空間の論理が後景に退いてしまった。それゆえに、日本のスマートホームは長らく「住まいの体験を豊かにするもの」ではなく、「機器を便利に操作するもの」として受け止められてきたのではないか。

この構図は現在のIoTガジェット型スマートホームの氾濫にも通じている。否、一直線でつながっている。
スマートスピーカー、スマートリモコン、スマートプラグ、IoT家電。たしかに、それらのプロダクトは生活を便利にした。音声で照明を点ける、スマートフォンでエアコンを入れる、外出先から家電を操作する。いずれも実用的な機能であり、個々のプロダクトの価値は十分に理解できる。

しかし、それらの多くは、あくまで「機器をネットワークにつなぐこと」を起点にしている。何をつなぐか、どう操作するかが先にあり、その結果として、住まい全体がどのような環境として立ち上がるのかという問いは後回しにされてきた。接続技術が先行し、空間における体験価値の設計が追いつかなかったのである。 その結果、スマートホームは「便利操作」を指し示す言葉になってしまった。エアコンを外出先からオンにできる。もちろん、その操作は入口としてはわかりやすい。だが、単なる遠隔操作や自動化の集積が必ずしも豊かな環境を生み出すわけではない。

Close-up of a hand holding a smartphone showing smart home controls in a living room
スマートホームは単なる「便利操作」ではなく、豊かな「体験価値」を生み出す手段だ
Image:New Africa /Shutterstock.com

スマートホームは接続された機器の総和ではない

本来、建築統合型スマートホームが目指すべきなのは、IoT機器の数を増やすことではない。

住まいのなかにある照明、空調、ウィンドウトリートメント、AV、セキュリティ、さらにはサウナやプールのような特殊設備までを、ひとつの環境として編み上げることだ。朝の光、帰宅時の温度、夜の陰影、映画が始まる前の静けさ。そうした時間と感覚の連なりを、住まいの側が破綻なく支えることにこそ、スマートホームの価値があると言えよう。

ECHONET Liteをめぐる問題も結局はここに戻ってくる。
なぜ日本では住まいが「統合された環境」として構想されにくかったのか、というスマートホームを取り巻く構造への問いである。

そこでは、空間の論理、あるいは「体験価値の向上」という視点が後景に退いてきた。その歪みが、今日の「スマートホーム=便利操作」という貧しい図式を形づくってきたのではないか。

Contemporary house with a pool and large glazed openings, illuminated at night
Image:KARNAVALL22 /Shutterstock.com

ラグジュアリーな住まいに求められる、目に見えない環境の整い

これからの日本のスマートホームに必要なのは、機器ではなく環境、制御ではなく体験、個別最適化ではなく住まい全体を統合して設計する視点である。すなわち、スマートホームが住宅のインフラとして、そして空間の質を高めるための基盤として機能することだ。

ラグジュアリーな住まいにおいて、本当に価値を持つのは目新しい操作性ではない。スマートフォンの画面をタッチすることでもなければ、音声で操作することでもない。朝は自然な光とともに空間が目覚め、帰宅した瞬間には、温度、照明、音環境、陰影が過不足なく整っていること。映画が始まる前の静けさや、夜を迎えるための灯りの移ろいが、住まいの側からさりげなく提供されること。こうした目に見えにくい環境の整い、シーンの振る舞いこそが、これからの住宅におけるラグジュアリーの条件になる。

住まいのなかにある設備や機器が、建築と一体となり、暮らしの時間と体験を支えるとき、テクノロジーは表面から退き、空間そのものの豊かさへと変わっていく。

空間が知性を帯び、暮らしの質を押し上げていく。そのときスマートホームは、単なる便利な住宅設備ではなく、ラグジュアリーな体験価値を支える住まいのOSとなる。

Modern two-story luxury home illuminated at dusk, viewed from a poolside terrace
Image:dotshock /Shutterstock.com

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